人は、時折り閃きと言う発想に駆られることがある、でもそんな閃きって何だろうって考えた事がありますか、そして何も無い所から新たな閃きが生まれるだろうか。 私が想う閃きとは、その人の人生においての統計学から成り立っているのじゃないかって思われてなりません。 即ち閃きとは、知らず知らずに見聞きし身に付いた経験が必要に応じて閃きと言う形で現れる、優れた者にだけ許された特権なんじゃないかって、勝手な思い込みをして居ます。 人によっては、閃きと言う発想を感じた事が無いって聞いた事もあります。
要するに閃きとは、英知の成せる技であって日頃の努力や物事に対する観察力、そして物事に共感する等と言ったイメージ参加体質とでも言おうか!? 自分ならこうしたい!ああしたい等と言った考えを日頃から自分に投げ掛けて居る人が、閃きと言う統計結果を瞬時に授かる事が出来るのでは、ないだろうか? 更に慎重な体質の方は、そんな閃きを他人の発想の如く客観視して、場合に因っては行動に起こすタイミングを見失ってしまう傾向にあると思われてなりません。
折角の閃きが嫌な言い方をすれば、臆病気質とも思える自分が邪魔をして、人生においての分岐点を自ら反れてしまう傾向にあるのかも知れません! 全てが正しいとは限りませんが、だからと言って全てを否定するのも、どうかと思います。 一か八かでは、確率的にもかなり部が悪い気がしますが、確率的に五分五分だとしたら? しかも自分の中の英知の結晶だとしたら、仮に間違った判断だったとしても閃きと言う自らの発想を信じても後で悔やむなんて事も無いように思えます。
だからと言って閃きだと錯覚するのも怖い事で、閃きを自分の才能と勘違いして人生の賭けに出るなんて事だけは、くれぐれも注意して頂きたいと思います。 でも、その賭けの全てが間違っているって誰が判断するか! 当然の様に自分の判断で勝負に出るか、また様子を見ると言った選択をしなくては、なりません!? 賭けに出て失敗をしてしまうって事は、確かに冒険でしょうが、だからって何時までも想像の世界に浸って居ても、何の進歩も無いと言うのも紛れも無い事実です。
世間を見渡しても、見事に成功を収めたなんて人の方が断然少ないのも現実ですが、だからって自分も、そんな仲間に加えてしまうのもチョット寂しい気もします。 今自分が、ここに居る事を考えた場合、自分の誕生が前世の時代から決まって居た事なのか?それとも単なる偶然の産物なのか?
天地創造の時代を経て間違いなく現在に至って居ます、そして両親から授かった我が身を偶然の産物として片付けてしまうには、少々問題が有るように思えてなりません。 自分の存在が偶然でなく運命付けられて居たとしたら、閃きと言う想像力も太古から受け継がれてきた遺伝子が、大脳を司る海馬を経て我が身に訴えかけているのかも知れません。
遠くエジソンの時代から、一攫千金!? 発明をしたら大金持ちになれるって、よく耳にしますが・・・・・・ 実際のところ
どうでしょう? 確かに素晴らしい発明なら一気に脚光を浴びて、ともすれば一攫千金の対象にもなりかねませんが、そう甘く無いのも現実です!? 日頃から思って居るのですが、と言うより見事なまでの自論にすぎませんが、漠然と何かを発明したいって知恵を絞ったとしても差ほどの発明には、至らないんじゃないかって思っています。
閃きとは、かけ離れた発想!? 場合に因っては、理論のこじ付けを平気でして、あたかも大発明じゃ無いかって勘違いをしてしまうなんて事にも有りうるって事です。 そんなこじ付け理論とは、俗に言う追っ付け大工的考え!? もっと簡単に説明すると、付け加え付け加え的発想の繰り返しで、雪だるま式に誇張する事で自分を納得させて満足してしまうと言うことです! 全てを悪いとは、完全否定出来ませんが、だからって手放しで肯定出来ないのが本当のところです。
私が言いたいのは、新しい発想(発明)に関しては、絞り出した考えよりも何気に思いついた発想、即ち閃きの方を優先する考えをお勧めしたい。 前項でも述べた様に閃きとは、偶然の産物なんかでは、決して無いと言えるからです。 時間を掛けて、その閃きの根拠を辿る事が出来たとしたら意外に幼い頃に遊んだ他愛無い事がヒントになっているかも知れません。 だとしたら!?
閃きと言っても偶然に湧き出てきた発想では、無いと断言出来るのではないでしょうか?
幼児体験から現在に至るまでの多くの体験や感心と言った、記憶に留める程の事でも無い事実を、如何に脳裏に留める事が出来るかで、明らかに運命を徐々に変えて行くのでは、ないでしょうか?
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